せた。事態は深刻」
として起訴され、懲役10年
学の学生江文国、及びまだ青年だった張子平
の実刑判決が下された。
が死亡、劉世栄少年が重傷を負った。
選させられた」
ことで、票の不正操作に対する
時行政院長だった蒋経国は政治的威信を損な
党外で高い評価を受けていた郭雨信が「落
この事件は海外のメディアでも報道され、当
党外支持者の長年の怒りは臨界点に達した。
い、後の
「美麗島大逮捕」
の導火線となった。
員、台湾省議員、台北市議員及び各県の郷鎮市
としては、
当時最大規模のものであったこともあ
においては「『作票』
( 開票の不正)
を許さない」
外人士たちが世代を超えて統合・団結し始め、
1977年、5つの地方選挙(県・市長、県・市議
長選挙)を同日に行う
「地方公職統一五選挙」
という姿勢を大々的に打ち出した結果、桃園県
の群衆が票の不正操作に抗議する
「中壢事件」
を引き起こしたのである。
「中壢事件」は、二二八事件以来の大規模な
街頭抗議衝突事件であった。警察署は破壊・焼
却され、警察は民衆に対して発砲、国立中央大
この「統一五選挙」は、台湾で行われた選挙
り、
もともと個人として独立する傾向にあった党
高雄県知事の黄友仁、桃園県知事の許信良、
省議会議員の林義雄、張俊宏、邱連輝、���洪月
嬌など、多くの当選者を出した前例のない選挙
となった。
1978年5月、各界の予想通り、蒋経国が総統
に就任した。一方、党外ではそのころ、
「 統一五
1979年1月22日 党外勢力の精神的支柱であった余登発氏が共産党のスパイの濡れ衣を着せられると、
「党外新世代」
は高雄橋頭に集結し、戒厳令下初のデモを展開した 撮影:陳博文
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