1975年8月『台湾政論』創刊号とその後毎号 表紙を飾ったマイクは、街頭演説のイメージで その理念を表現していた 提供:廖為民 し、台湾と国交のある国は28カ国、 ヨーロッパ などが名を連ねた。 ってしまったのではないかとの重苦しい雰囲気 党外誌を一手に支えてきた状況を打破し、台湾 立法委員選挙」 に合わせて、 『台湾政論』 が創刊 れまで、政府は日本語による新聞や雑誌を一切 ではバチカンのみとなった。 「アジアの孤児」 とな がただよう中で、同年8月、年末の「第2次増員 された。 『台湾政論』は、党外立法委員の康寧祥が、 『台湾政論』は、 これまで中国籍の知識人が 籍の知識人が創刊した初の党外誌となった。 そ 禁止していたため、選挙時のわずかな期間に街 頭で演説ができる、短い 「言論の休暇」 を除いて 同じく立法委員の黄信介を招いて共同創刊し は、日本語世代である台湾本土の知識人の文 と張金策、法律顧問に姚嘉文、社務委員には党 台湾初の選挙向け党外雑誌である 『台湾政 たもので、総編集長に張俊宏、副編集長に黄華 章力や論述能力は何の力にもならなかった。 外民意代表の郭雨新、黄順興らが就任した。一 論』 は、選挙と結びついた民主化運動であった。 政文、陳鼓応らが、作家では王拓、王杏慶(南方 挙戦を盛り上げた。 方、執筆者としては、大学教授では林鐘雄、蔡 朔���、蘇慶黎、葉栄鐘、王詩琅、李慶栄、張化民 34 1975年12月「不滅の虎将」増員立法委員 選挙に出馬した郭雨新の選挙資料 提供:邱万興 演説を得意とする黄信介らは、北から南まで選 1960年に 『自由中国』が休刊してから15年

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