雷震
撮影:潘小侠
夫の雷震のために奔走した監察委員宋英。監察院委員会で関連
資料を読み上げる 写真:黄彦文
障」の規定)及び日本の人身保護法に相当する
「提審法」の関連規定に基づき、裁判所が雷震
逮捕の是非についての判断を下すことを求めた
が、
すべて棄却された。
また、雲林県議会では、議員の蘇東啓が、愛
た)」
という罪名で懲役10年の判決を下した。
この判決理由は、
いわゆる白色テロの時代に
は、広く使用されていた罪名であったが、
これら
の罪は実際には、表現の自由とそこから派生す
国知識人である雷震を釈放するよう蒋介石に
る
「表現をしない自由」
すなわち
「黙秘をする権
た。
当時、45議席のうち39議席を中国国民党員
人権宣言第19条に違反したものである。
求めるという議案を提起、全会一致で可決され
(台湾籍が大半)が占めていたことからも、国民
利」
をも保障した、
中華民国憲法第11条や世界
雷震が懲役10年の判決を受けた後、陶百川
の間での雷震の人気は多大なるものだったこと
ら5人の監察委員は、監察院で「雷震事件調査
しかしこれらはいずれも、蔣介石に嫌悪の念
件に関する問題点を指摘、訂正案を可決した
がわかる。
委員会」
を結成し、
「 調査報告書」
の中でこの事
と怒りを感じさせただけであった。蒋介石は総
が、蒋介石の判断を変えるには至らなかった。
うな判決を下すべきかを討論した結果、10月8
の後、
まず李万居ら党外勢力により招集人会議
てはならない」
と自ら記載するに至ったのであ
発表された。
また同時に、雷震の逮捕と有罪判
統府で会議を複数回にわたって主宰し、
どのよ
日付の公文書に
「雷震の刑期は10年を下回っ
る。同日午後、軍事裁判所は雷震に対して、
「知
匪不報(共産党員の存在を知りながら通報しな
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かった)」
「 為匪宣伝(共産党のために宣伝をし
結党間近だった「中国民主党」は、雷震事件
が開かれ、
「中国民主党準備委員会」の設立が
決に対する抗議声明を発表、党結成から手を引
かないことを宣言した。