|
第一章
|
国際的人権の趨勢に反する戒厳令
備総司令部(軍に属する治安維持機関)
の執拗
る」
とメディアを通じて高らかに宣言したことで
雷震は立憲主義の知識があり、過去には蒋
雷震、徐復観、夏道平など15人の著名な学者か
な嫌がらせを受けるようになっていった。
あった。
これに対し、
『自由中国』
は胡適、陶百川、
介石とも付き合いがあったため、服従すれば出
らの
「進言」
を掲載する計画を立てたのである。
と、政治批判を選択した。そして
『自由中国』史
治体制の確立、強力な反対党(野党)
の育成、表
国』1956年10月31日
「生誕記念特別号」
が出
権の独立の保障、教育の正常化、反共救国会議
世できたはずであるが、彼は民主主義の啓蒙
上、最も話題となり、多くの版を重ねた
『自由中
この
「進言」
の内容は、要約すれば、民主的政
現の自由の実効的な保障、党軍の国軍化、
司法
版されることとなった。
の迅速な開���などであった。敬語や婉曲的な表
に
「察納雅言(正しい意見を聞き入れる)」
「誕生
制に対する批判と揶揄が込められていた。
事件の発端は、蒋介石が70歳の誕生日を前
日のお祝いではなく、各界からの進言を期待す
現が多い文章だったが、言葉の端々に戒厳令体
「生誕記念特別号」は飛ぶように売れたが、
後ろに立っているのは右から呉三連、郭雨新、胡適、李万居(1960年) 提供:邱万興
23