はじめに:人権擁護の歴史的変遷
第二次世界大戦後の1946年、国連が設立
ューは「三権分立論」
を提唱し、18世紀半ばに
「われら連合国の人民は、われらの一生のうち
「社会契約論」を提唱、アメリカの独立宣言や
戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人
自由主義は開放的な考え方を刺激しただけ
された際に採択された国連憲章は、
その冒頭で
に二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた
憲法にも大きな影響を与えた。
権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国
でなく、高度な工業化と資本主義を促し、科学
べている。
に貧富の差、労働関係の矛盾、階級対立などの
展する上で重要な時期であった。国連は、1948
すこととなった。
で掲げた基本的人権を具体化し、人権保障を
は、富裕層や権力者が契約自由の名の下に労働
アメリカ合衆国憲法(1789年、世界初の成文
時の)社会はさまざまな不安要素を含んでいた。
の同権とに関する信念を改めて確認」
すると述
20世紀後半は、人権が普遍的価値として発
年12月10日の世界人権宣言により国連憲章
促進した。
これは、
フランス革命に影響を与えた
憲法)以来、1世紀半に及ぶ人類の社会的進歩
技術の進歩と社会の繁栄をもたらしたが、同時
弊害をも生み出し、新たな人権問題を引き起こ
18世紀から19世紀にかけて発展した自由権
者や弱者の搾取を行うことを容認したため、
(当
資本主義の「社会悪」を解決するため、世界
を実現したものとなった。
的に2つの大きな流れが生まれた。
憲法上の義務となり、法的に保障された
「権利」
資本主義そのものを否定し、公有制と計画経済
人権が哲学的な概念から国家が遵守すべき
1つは、
自由資本主義を厳しく批判、又は自由
として確立されるまでには、長く、辛く、血と涙に
を主張する共産主義ないし社会主義である。
こ
イギリスは「不文憲法」を最初に制定した国
きものとされ、生産手段と資源の公平な分配は
制限し、1689年の
「権利章典」
では人身の自由
社会主義又は共産主義を標榜する共産党
彩られた道のりがあった。
であり、1215年の
「マグナ・カルタ」
では王権を
を保障する
「デュープロセス」
の概念を導入して
いる。
また、
イギリスは最初に産業革命と資本主
の考えの下では、資本家による搾取は根絶すべ
国家により行われる。
は、1917年にロシアで世界初の革命に成功
し、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦
義を発展させた国でもあり、
その結果、17世紀
(USSR)
を建国するに至った。社会経済的な平
主義」
に代表される人権思想や学説がもたらさ
党が建設した国は自由主義と民主主義を否定
末のイギリスの学者ジョン・ロックによる
「自由
れることになった。
18世紀初頭、
フランスの哲学者モンテスキ
6
はフランスの政治、哲学者ルソーが「国民主権」
等を理想として高く掲げたものの、
現実には共産
し、
しばしば深刻な人権侵害がもたらされた。
もう1つは、社会福祉国家とも称される修正