三、党外雑誌の継承と逆襲
国連憲章が人民の自決権を尊重しているこ
とから、1960年代にはアフリカの多くの旧植民
地が独立した。そのため、中国の代表権を問う
国連総会の投票では、中国共産党政権を支持
するこれら新興国の票が増えることになった。
ま
た、1970年、
アメリカのニクソン大統領はソ連
を牽制するために中国共産党政権に接近した
ことから、国連における中華民国政府の中国代
表の座は、
さらに危ういものとなっていった。
1971年10月25日、第26回国連総会で「国
際連合における中華人民共和国の合法的権
利回復の問題」
に関する第26回国際連合総会
2758号決議が採決された。長年の外交闘争の
末、
中華人民共和国政府に中国代表としての権
利が認められたのである。
雷震による国を救うための心からの進言
(1972年)
1970年秋、刑期を終えて出所した雷震は、
中華民国の国連での立場が危ういと感じ、
自ら
の日記に台湾はどうするべきかを記していた。
それは翌年、傅正の協力を得て約3万字に及ぶ
「救亡図存献議」にまとめられた。同文の中で
雷震は、
「一刻も早い中華台湾民主国成立の宣
言」
「新憲法の制定」
「政治・軍事改革」
「民主憲
政の実施」などを提案、
「自由と民主」
を武器に
国際社会の支持を得て、
中国共産党政権による
併合の野望に抵抗すべきだとした。
1972年1月10日、雷震は
「救亡図存献議」
の
当時、台湾のメディアは国連を
「排我納匪(我
原本を総統蒋介石に、印刷した4部を副総統兼
ュースには
「国際的な流れに反する宥和」
「共産
統府秘書長の張群、
国家安全会議秘書長の黄少
が国を排除し共産党を受け入れた)」
と非難、
ニ
勢力の横行」
といった見出しが、
キャンパスには
「全力で蒋介石総統を支持する」
「 荘敬自強・
行政院長の厳家淦、行政院副院長の蒋経国、総
谷に送った。
また同封した手紙の中で
「まだ誰に
も見せておらず、
また公にもしていない」
と記し、
自
処変不驚(状況の変化に驚かず、自らを強くせ
らの提言が採択されることを望んだ。
しかし、雷
実には、国民は震撼し、社会は怯え、知識人は
実際、中国国民党籍の古参外交官である葉
よ)」などのスローガンが溢れていた。
しかし現
不安に陥っていた。
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「救亡図存献議」─
震のこの思���は、
何の反応も得られなかった。
公超や楊西崑などは、早い時期から国際情勢の