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第一章
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国際的人権の趨勢に反する戒厳令
党、両党の結成に参画した数少ない結党活動
的抉択(憲法を守るか?憲法を破壊か?-国民
かったが、その後寄稿者となり、最後は雷震に
容『御用』大法官濫用解釈権?
(御用「大法官」
家である��傅は当初『自由中国』
の読者でしかな
誘われて編集長兼雷震の秘書となった。
逮捕・投獄された時、傅はまだ33歳だった。
司法裁判を経ずに3年間の「感化」の決定を受
大会代表が賢明な選択をすることを望む)」
「豈
たちによる憲法解釈権の濫用を許すのか?)」
な
どの発表により、傅は、
「 文字によって自分たち
の意見を国民大会代表に強要した」
「大法官を
けたが、
その期間満了時に再度「共産主義的思
『御用』
の道具であると根拠ない批判をした」
こ
傅が有罪となったのは「中国青年救国団」
(救
傅正は、雷震による国を救うための心からの
想がある」
ことを理由として3年間延期された。
国団)への批判や、国庫と党庫が区別されてい
とで起訴された。
進言「救亡図存献議」
の完成に協力した後に筆
ないことに反対する記事を書いたことのほか、
を絶ち、政論からは距離を置いていた。
しかし、
の主たる理由であった。
れを憂いて再び党外運動に身を投じた。1986
蒋介石の違憲再選に反対する2本の記事がそ
「護憲乎?毀憲乎?——望国大代表作明智
1979年12月末に美麗島事件が勃発すると、
そ
年には
「党禁」
(新規政党結成禁止)
を破って民
台湾で唯一、
「中国民主党」
と
「民主進步党」
の結成に参画した傅正。戒厳令解除後に街頭で 撮影:黄彦文
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