蒋氏の2期目の総統任期が満了を迎えようとし
ていたことから、党・政府・軍のメディアは早くか
ら、憲法改正を各方面に懇願・要請し、任期制
限を撤廃すべきという世論を誘導していた。
しか
し
『自由中国』
は社説や記事で護憲の旗を掲げ、
強い反対を表明していた。
1960年3月に開催された国民代表大会で
は、憲法改正は断念したものの、
「 動員戡乱時
期臨時条款」第3条を
「動員戡乱時期において、
総統と副総統の任期は連続して2期までと規定
する憲法47条の制限を受けない」
と改正した
め、蒋介石はその後1975年に在任中に亡くな
るまで5期連続(総統任期6年)
で総統を務める
アメリカ出身の人権活動家リンダ・G・アリーゴ
(Linda Gail Arrigo)
の披露宴に参加した雷
震(1978年) 提供:リンダ・G・アリーゴ
こととなった。
蒋介石の違憲再選を阻止できなかった雷震
は、
その民主化の夢を李万居、高玉樹、呉三連、
郭雨新、郭国基、楊金虎ら72人の党外の民意
同時に党、政府、軍、
マスコミから
「イデオロギー
代表や公職者とともに新党を結成する方向に
国統一)に道を開くものである」
と一斉に攻撃
意に達した。
その後7月から8月にかけて各地で
というパンフレットまで発行され、長期にわたる
れることを予告した。
た表現の自由、党軍の国軍化、教育の自由化な
ていた雷震は、各地での熱烈な歓迎ぶりに驚
の密輸であり、共匪(共産党)による
「統戦」
(中
転じさせ5月18日に台北で開かれた会合で、合
された。
さらには、
「 有毒思想に向けた総攻撃」
座談会を開催、
「中国民主党」
が9月末に結成さ
「世論戦」の様相を呈した。自由中国が提唱し
ども、
「共匪」
の宣伝を目的とした
「有毒思想」
で
あると非難されることとなった。
「中国民主党」結成準備
雷震に10年の実刑判決
1960年、雷震が蒋介石の違憲再選に反対
したことと、新党結成の準備を始めたことから、
両者は完全に決別した。
また、同年5月20日に
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新党結成に先駆けて各地の座談会に参加し
き、
日記の中にもその感動を書き記していた。
し
かし、
どの座談会も、常に軍や警察、情報当局に
よる妨害や威嚇があり、双方の「ペンによる戦
い」
は激しさを増していった。
9月1日、雷震は「ここ数日、結党関係者が受
けた干渉について告訴する」
との緊急声明を発
表、
「 新党結成の運動は、国内外の民主反共主
義者の一致した願いであり、国内においては下
から上への流れである」
と断言した。