二、
「限定的民主主義」
と
『自由中国』
の奮戦
1945年10月25日に半世紀にわたる日本の
全土において民衆、地方士紳、知識人が、軍隊
植民地支配が終わりを告げると、台湾は連合国
により無差別に虐殺、逮捕・監禁、銃殺された。
ととなった。第二次世界大戦が終結したばかり
日本の出版物は厳禁
を代表した中国国民党政府により接収されるこ
のこの時期に、戦禍を被った台湾の人々は、新
しい時代��幕開けを喜んで迎え入れようとして
いた。特に、
日本の植民地支配に不満を持ち、
す
声を失った台湾本土のエリートたち
わずか1年余りで、台湾は期待と歓喜にあふ
でに祖国である中国にコンプレックスを抱いて
れた状態から、驚愕と苦しみに満ちた状態へと
しかし、台湾にやってきた国民党軍の素質は
は、人々に時事・政治問題を率直に語ることを
た。1947年春には二二八事件が勃発し、台湾
出版物を厳しく禁じたため、徐々に頭角を現し
いた知識人たちはそうであった。
「ピンキリ」で、台湾人との衝突が絶えなかっ
豹変してしまった。二二八事件の歴史的な傷跡
恐れさせた。
また、政府が日本語の新聞、雑誌、
宜蘭市の街頭で投票に感謝する郭雨新。
「議会の
『小鋼砲』
(小銃)」
(「小鋼砲」
は剛直であけすけにものを言う
人のたとえ)
「農民の代弁者」
の愛称で知られ、1951年から22年連続で台湾省議員を務めた 提供:郭時南
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