| 同年9月25日、李万居、高玉樹、夏濤声、王 地、郭雨新、許世賢、葉炳煌、蘇東啓、黄玉嬌ら 十数人が第一回準備委員会を招集し、次の二 第一章 | 国際的人権の趨勢に反する戒厳令 要性もさることながら、早くから日本に留学し、 憲法を専攻とした彼が言葉の壁を感じさせず、 常に党外勢力と密接にコンタクトをとってきたこ つの提案を採択した:①報道官を選出し、警備 とにもよる。 書と資料の返還を求める文書を提出すること、 は、雷震が自由民主と平等の 「公信力」 を重んじ 総司令部に対して新党準備にかかるすべての文 なかでも、台湾人の心をしっかりと掴んだの ②「党報道官の一人である雷震」 が公訴を提起 てやまなかったことであった。例えば、1958年7 べて同党準備委員会で用意、負担することを表 庁にも、台湾人が一人もいないのに、台湾人が されたことについて、 それにかかる訴訟費用はす 明すること。 しかし、 その後、 さまざまな方面からの脅迫や 弾圧にさらされた結果、多くの人が言論訴訟や 争い事を起こされ、同党の結成は実現すること 月の 『自由中国』 の社説は、 「 中央政府のどの省 国の主としての地位を回復したと信じさせること ができるのだろうか」 と露骨に述べている。 『自由中国』 は政論誌として出発し、大衆的な 基盤はなかったが、 その立憲主義に関する論述 なく、 そのまま頓挫することになった。 は、大衆的な基盤をもつ党外勢力らとともに、 戒厳令下の 「自由民主三傑」 ! 権威主義体制は、 その基盤や正統性がますます 雷震、傅正、殷海光 この雷震の一件では、多くの人が党外から支 新政党を結成する求心力となっていた。一方、 脆弱になっており、 これを容認することはできな くなっていった。 殷海光(1919-1969) は、投獄こそされなか 持を表明しただけでなく、 そのことについて熱く ったものの、国立台湾大学哲学科の教授職を る雷震が、台湾の草の根レベルで高い評価を得 された。 また、 その印税収入を絶つために、殷の 語る者、嘆き悲しむ者も多くいた。 中国出身であ ていたのは、台湾世論における 『自由中国』 の重 追われ、情報当局によりその生活を厳しく監視 書籍を出版していた出版社は脅迫され、 その出 蘇東啓(1923~1992) 雲林県議会議員時代には、蒋介石総統に対して愛 国知識人である雷震の釈放を求める議案を提起、 反対意見なく全会一致で可決された 出典:雲林国家文化記憶図書館ウェブサイト http://data.yunlin-memory.cool/taxonomy/term/639 27

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